またまたパワハラ問題がスポーツ界に浮上したようですね。
レスリング、体操、そしてウェイトリフティング。
他にもいっぱいあるんだろうなあ。
私の高校時代は
教卓の横に生徒を指示棒兼、生徒を叩く為の棒が常に常備されていました。
一回宿題を忘れるごとに20回頭を叩かれました。
でも直りませんでしたね。
同じ子が何度も繰り返していました。
パワハラに年代は関係ない
パワハラ問題のやり玉に挙げられている人は年配の方ばかりです。
年配の方は指導のためなら
叩くのもアリだと思っている方が結構多い。
自分もそうやって育ったからなど自慢げにのたまいます。
でも桑田真澄さんも言っていたように
体罰指導では子どもは伸びないのです。
恐怖を行動基準にしても幸せになれませんから。
でもこれは年代で語れる問題ではありません。
若者に目を転じてみますと、
彼らのいじめは度を越して凄惨だったりします。
年代問わず、手や足が出るのはなぜなのか?
パワハラは国語力不足が一因
私はコミュニケーション力不足もありますが、
使える言葉を持ち合わせていない、
語彙力の欠如による苛立ちが一因になっていると考えます。
いらだったり、焦ったりすること自体は悪いことではありません。
問題のなのはその感情を伝える語彙と術を持ち合わせているか。
今、この瞬間に伝えないといけないけれど
自分の中にある思いにピッタリな言葉を見つけられない。
思うように言葉が出ない、
選手を覚醒させるようなピッタリな言葉が出てこない…
こんな時に暴力が起こりやすい。
真剣であればあるほど、一生懸命であればあるほど暴力につながりやすくなる。
スポーツ界のパワハラ問題は
技術さえ一流であればよい、という
国語や人間性教育を軽視した日本の結果第一主義指導の産物です。
要するに、
指導者の語彙不足。コミュニケーション力欠如がパワハラの引き金になるということ。
だから国語教育は大事なんです。
すぐ「死ね!」と叫ぶ子ども
私が初めて担任した生徒の中にK君という男の子がいました。
この子は入学してすぐに問題児として認知されることになりました。
なぜなら口を開けば「死ね!」と叫び、
暴力沙汰は日常茶飯事。
なぜ彼が「死ね!」ばかり叫んでいたのか。
それは言葉がすぐに出せない子だったから。
とても頭の回転が速い子だったのだろうと思います。
内面で言葉は溢れるほど湧いてくるのに口が追い付かない。
思った言葉をすぐに言おうとしても出てこないから馬鹿にされる。
だから口に出しやすく、かつ相手にダメージを与える言葉を選んで連発していたのです。
そして暴力をふるっていた。
私は今でもちゃんと対応できていなかったと悔やむことがあります。
ちゃんとその子だけの時間を確保して
言葉が出てくるのを待ってあげる時間を持って向き合ってあげれば
K君は安心しただろうと思うのです。
“一流”を育てるならやっぱり国語力が大事
団体競技はコミュニケーション力が特に大切です。
自分ひとりでできないので仲間との意思疎通が必須だからです。
とあるサッカーのアカデミーでは
世界で戦える選手に育てるためにはサッカーの技術だけではなく
コミュニケーション力が不可欠であると認め、
コミュニケーション力を育成する時間を設けています。
最先端のところはもう気が付いています。
技術と同じくらい、国語力やコミュニケーション力が大事だと。
そして行動に移しています。
実際にやりながらコミュニケーション力が磨かれることもあるでしょうけれど、
勘のいい子はそれでよくても、そうでない子は苦労します。
子どもの頃からコミュニケーションの基本的なフォーマットはある程度教えておくのがおすすめです。
国語力は精神を安定させる
世間にすごいね!と言われる難関の中学校に入れたって
コミュニケーション力や語彙がないと世の中はわたっていけない。
人と繋がれない。
人と繋がれなければ孤独に生きていくことになる。
国語の成績がいい子は精神的に安定している子が多いのです。
それはいつでも自分の想いをちゃんと伝えられるという安心感があるから。
伝える力の基本は国語。
だから国語は何をおいても第一に勉強するべき科目なのです。
コロナ国語教育アカデミーでは独自のプログラムで
長文読解問題をただ解くだけではなく
コミュニケーション力も鍛えます。
教師と生徒が活発に意見のやり取りをします。
最初は簡単なものから始めて徐々に堂々と意見を述べられるようになります。
国語の成績が上がるのはもちろん、
自分の価値観を醸成し、堂々と世の中をわたっていける力を育みます。