連日オリンピック観戦をしています。
昨日は女子バスケットボールの歴史的な勝利と
サッカーの3位決定戦に目がくぎ付けでした。
女子バスケットボールは感動しました!
小さな体格の日本人の選手たちが
自分たちより大きな体格のフランス人に
駒のようにクルクルよく動き、
疾風のごとく攻め込む。
一人一人が自分の役割を的確に果たし、勝利に向かって進んでいっていました。
まるで1つの生き物のように完璧に機能していました。
「日本人も、ついにここまで来たか」と驚きました。
昔の日本人は…
最初は勝っていても、
最後はスタミナが切れて逆転されるというのがパターンでした。
それが勝負所まで
つかず離れずでピタリとついていって土壇場で爆発する。
こんな戦い方ができるようになったんだ…と感慨深かったです。
日本人選手の全力プレイを見ながら、
日本人全体の意識も大きく変えているのかもしれないなと思いました。
体格が小さくても、どんなに不利でも
揺らがない勝利への意志を持って挑めば勝機が見いだせる…
こんな体験をかつて私もしたことを思い出しました。
あれは小学校5年生の時のクラスマッチ。
競技種目はサッカーでした。
4クラスあり、私は5年4組。
普通のクラスでした。
ところが1組は女子の3分の2がサッカー部という別格のクラスでした。
運動神経抜群のAさんの元、固く結束していた無敵のクラスで、
優勝は100%確実と言われていました。
既に2組も3組も惨敗。
そんな1組とついに試合することになり、4組に問題が発生!
それまでゴールキーパーをしていた子が
試合直前になって「ゴールキーパーをやりたくない」と言い出したのです。
たくさんゴールを入れられるのが嫌だったのでしょう。
自分の責任にされると思ったのかもしれません。
「負けてもいいから」「何点入れられてもいいから」
と全員で引き止めましたが意思は変わらないので
みんなで輪になって話し合いをしました。
「どうする?」「だれがゴールキーパーをする?」
誰も手をあげません。
だって負けるのは分かっているのですから。
でも誰かがやらなくてはいけないのです。
そうこうしている間に試合時間になってしまいました。
「整列しなさい」と先生の指示。
「どうしよう!!」
その時、
「負けてもいいなら私がやろうか」と言った子がいました。
その言葉に全員が迷わず「うん!!負けてもいいから!お願い!」と嬉しそうに言いました。
そして急いでグラウンドの真ん中に整列して挨拶しました。
ゴールの前に立ったのは…
マラソンではいつも後ろから数えた方が早い私でした。
そうです。
「負けてもいいなら私がやろうか」と言ったのは私でした。
なぜ言ってしまったのか、今となっては不明です。
ゴールの前に一人で立った時、
膝がガクガク震えているのが分かりました。
「負けてもいいんだから…」「みんな、何点入れられてもいいって言ってたから」
「負けてもいいのよ」
と何度も何度も自分に言い聞かせました。
その時、声が聞こえました。
「私は負けたくない!!」
それは私の内側から聞こえてきた声でした。
もう一度、はっきり聞こえました。
「私は負けるのはイヤ!!」
私の、ウソ偽りない、本当の気持ちでした。
自分の本当の気持ちに気付いた時、急に視界が広くなったような気がしました。
その時、1組のAさんが華麗に攻め込んできました。
4組は全員、やる気はありませんでした。
だって負けるとわかっているのですから。
Aさんの後ろからバラバラとついていくだけ。
ボーっとしている子もいたような(笑)。
Aさんが華麗なドリブルで私の方にまっすぐ向かってきました。
ゴール前にきた時、私の体が動きました。
私は「うおおおおおおおおおおー!!」と叫びながら
ボールに向かって突進していました。
そして蹴られる前にボールに覆いかぶさりました。
考えてやったことではありません。
ただ、勝手に声が出て、体が動いた。
何度も何度も攻め込まれましたが、
そのたびに私は声を出してボールに突進しました。
自分が蹴られるかも?なんて思いもしませんでした。
全ては負けるのはイヤだから。
勝ちたいのではなく、負けるのが嫌。
1組はまさかいつもマラソン大会で最下位に近い私に止められるとは思っていなかったのでしょう。
私のセーブがマグレだと証明してやろうと言わんばかりに
絶対に点を入れてやる!という気持ちでさらに攻めてきました。
それでも私は踏ん張って止める。
声を出しながらボールに突進する。
そうこうしているうちに、4組のクラスメイトがゴールを決めてくれました!
1-0
1組のゴールキーパーは油断していたのかもしれません。
それでも1組はまだ余裕でした。
1点くらいすぐに取り返せるし、大差で勝つ自信があったのでしょう。
しかし、運動神経のない私に得点を阻まれて、だんだん苛立ってきました。
さらに1点追加。
2-0
決まりそうなのに決まらない。
それはあいつのせいだ!と思ったのかどうかは知りませんが、
さらに攻撃が激しくなりました。本当に猛攻でした。
あの時の私は、私ではなかったような気がします。
時間が経って
試合終了のホイッスルが聞こえた時…
私は土まみれの砂まみれ(笑)
私が守ったゴールは、
一度も揺れることはありませんでした。
猛攻に耐え抜いたのです。
気が付いたら
「わああああっ」と膝をついて声を上げて泣いていました。
クラスメイトに支えられて整列。
皆で輪になって喜びました。
本当は私は不安で怖かったのです。
でも勝利への執念が恐怖を上回った。
だからあの行動になった…
なぜ「私がやろうか」などと言ったのか?
はっきりとは分かりませんが、
先生を困らせたくなかったのかな?と思います。
結局、4組はまさかまさかの優勝。
担任の先生も勝つとは全く思っていなかったようで、
滑り台の前で手を叩いて喜んでいたのを覚えています。
ウソ偽りのない本当の気持ちに気付いて、従った時、
人は信じられない力を発揮できるのだと知った出来事でした。
あれから何十年もたった今でも
ゴールの前に一人で立った時のことは鮮明に思い出せます。
「私は負けたくない」と声が聞こえたことも。
オリンピックで勝つ選手たちは
この辺りの気持ちの整理というか、コントロールが優れているのではないかと思います。
自分との対話を重ねて自分の本心を把握している。
そして自分の勝利を潜在意識の深い部分で信じ切っている。
だからそのための行動を体が自然に選ぶのではないかと。
対話をするために必要なのは言葉。
つまり、ここでも国語力が必要になってきます。
やはり勝負ごとにメンタルトレーニングは必須だなと思います。
そして国語力も。
実は私はスポーツメンタルトレーニングの資格を持っています。
生徒さんたちの勝利に貢献したいと思って勉強したのです。
私は今回のオリンピックで
自分が頑張っている人を応援することに対する並々ならぬ情熱を持っていて、
生き甲斐でもあると感じました。
一生懸命頑張る姿は、無条件で美しい。
性別も国境も肌の色も関係ない。
その本当の意味を教えてくれたオリンピックでした。
私は日本中の子どもたちと親御さんを
励まし、勇気づける国語教師でありたいと思います。